「地球環境問題と日本の環境政策について」
天津市政府環境保護局(2000年8月22日)
吉林大学(2000年8月24日)
参議院議員・元環境庁長官 広中 和歌子
環境問題は、一国にとっても、地球全体にとっても、21世紀最大の課題だと言われております。人類の存続は地球上でいかに共生するかにかかっているといっても、過言ではありません。
その第一の理由は、20世紀後半から現代に至る文明は、環境を破壊する規模とスピードが、人類史上経験したことのないものになってきていることです。
第二に、そのような状況の中で、地球的規模の環境破壊が現実のものとなってきたにもかかわらず、私たちは、その環境破壊を効果的にコントロールする社会経済的システムを未だ確立していないということです。
第三に、もし人類が地球環境の保全に失敗した場合、宇宙の中で人類が住める場所はもう存在しないという事実です。
さて、20世紀もあと4ヶ月を残すまでになりました。この世紀の大きな部分を生き、体験した者の一人として、私は皆様と共に、20世紀を振り返ってみたいと思います。
まず、20世紀は戦争の世紀といっても過言ではないと思います。1914年に始まる第一次世界大戦、1941年に始まった第二次世界大戦という世界を巻き込んでの二つの大きな戦争、その後は米ソ 二つの超大国による冷戦構造が続き、それを背景として朝鮮動乱、ベトナム戦争をはじめとする数々の地域紛争が多発しました。そうした紛争は冷戦が終わった今も後を絶ちません。
戦争で失った人命、傷ついた人々は数知れず、爆破された街、崩壊された家庭とコミュニティ、焼き尽くされた森林など、文化と環境破壊の大きさも計り知れない程です。戦争は最大の環境破壊だと断言してもいいのではないかと思います。
20世紀はまた、めざましい科学技術の発展の時代でもありました。こうした進歩が巨大な戦争、大規模な破壊と殺戮を可能とする戦争を支えましたが、同時に人類に数々の夢と希望、恩恵も与えました。人類を月に到達させたのも科学技術なら、人々の暮しを楽にする電化製品や長寿を可能とする医療技術も発達しました。ラジオやテレビ、更に最近のパソコン通信ネットワークといった情報通信システムの発達は、地域や国の単位を越えて、私達に世界を身近なものと感じさせてくれるようになりました。鉄道網、高速道路網、そして、航空産業は現実に人と人、地域と地域、国と国との距離間を縮めるものとなりました。こうした恩恵は産業の発達、経済の発展を伴い、世界のGNPは20世紀初頭と比べ、20倍を越える程にもなりました。
わが国一国をとっても戦後50年、半世紀の間に、急速な経済成長を果たし、多くの人々が豊かさを実感できるようになりました。しかし、すべてのことに光と影の両面があるように、すばらしい経済発展の影には、大きな環境破壊がありました。
1960年代、熊本県の水俣では、工場排水に含まれていた有機水銀による健康被害が多くの住民の身の上に起こり、苦しみの中に息絶えた人たち、長い闘病生活を今だに続けている人たちを生みました。しかもこの汚染問題は、当時原因究明に手間取り、対策も後手にまわり、汚染で被害を受けた方々への補償問題が最終的に決着したのは、つい5年ほど前のことです。
戦後の高度成長の中でこうした環境汚染による被害はわが国のいたるところで起こりましたが、それは私達が健康に生きていく上で必要不可欠な大気、川や海といった水系そして土壌の保全について、経済活動の過程で充分に配慮せず、経済成長が最優先された結果です。
こうした環境破壊はわが国だけに起こったことではなく、程度の差こそあれ、アメリカやカナダ、メキシコでもヨーロッパの各地でもそして最近急速に発展しているアジアの国々にも起こっていることです。
こうした環境破壊、環境汚染は経済発展に伴う必要経費なのでしょうか。人々が豊かさを欲し、そのための経済発展を望むと、公害は避けられないものなのでしょうか。
わが国が経験した公害は急速な経済発展と過密な人口集中により特に激しかったのですが、幸いにして国や地方の課した公害規制と産業界の対応により避けられることを実証しました。公害対策は市民からの強い要望によるものでありましたが、こうした要望そして市民運動が市や国の公害対策や規制を生み、産業界は技術力と公害防止への設備投資等でそれを乗り越えて行くというプラスの連鎖が生まれました。国や企業が支払った公害対策費は、最大でGDPの2%にも達し、その結果として、SOx(硫黄酸化物)は最悪時の8分の1に減りました。
私達は水俣病や四日市ぜんそく、新潟のカドミウムによるイタイイタイ病などすでに起こった公害、被害を深く反省するのみならず、二度とこうした公害を起こさない経済活動を行うことの重要性を、今後経済発展をしていく国々に語り続けていくことが大切だと思っています。つまり、公害対策を無視した経済活動は、結果的に物心両面で、より高いコストを支払わなければならないことを示さなければなりません。
とかく申し上げるのも、20世紀も四半世紀を残すまでに迫った頃から、環境問題の質が変わってきたのです。つまり、一地域の、ある特定の汚染源から発生するような公害はその汚染源を断ち、公害対策をすることで減少さすことができるわけですが、新しい環境問題は、一地方に限らず、地球規模の問題に変わってきたからです。
最初にそのことを指摘し、警告を発したのは、1972年、世界の著名な識者が集まり、検討した結果生まれたローマクラブによる報告書「成長の限界」でした。人間が現在のままの経済成長を続け、人口増加が続いたら、地球は人類を支えきれないという警告でした。
1970年代にはオゾン層に穴があいているという事実が気象学者の観測で判明し、それがフロンによるものであることがつきとめられました。オゾン層は太陽からの紫外線を遮る大切な役目をしており、直接紫外線にあたると皮膚ガンなどにかかると云われています。
また、中央ヨーロッパを中心に酸性雨によると見られる木々の立ち枯れがあちこちに起こりました。また、大気中のCO2 濃度が増加し、それにより温室効果が生れ、温暖化現象が起こるのではないかと多くの学者が警告を発するようになりました。20世紀の気温の変化を調べると、平均気温が最も高い10年をとってみると、ここ最近の10年くらいに集中しているという指摘もされてもおります。その他、砂漠化、植物が育たない土壌劣化が起こり、増え続ける人口を支えるに充分な食糧が生産されるだろうかという懸念も生まれています。
こうした背景から、地球環境問題に関心が集まり始めたわけですが、世界的なレベルで人々の地球環境への意識が高まった理由の一つには、宇宙飛行士達が送り届けてくれた宇宙から見た地球の映像であり、さまざまな言葉で表現された彼らの地球への思いであったと思います。ソ連の飛行士は「エジプトのサハラ砂漠の砂嵐で舞い上がったオレンジ色の雲は、フィリピン上空で雨雲となりそこに雨を降らせている。我々人間は皆地球という一つの船に乗り合わせているのだ」と表現しています。こうした思いから「かげがえのない地球」という言葉が生まれ、「地球にやさしく」という標語も作られました。
しかし、よくよく考えてみますと「地球にやさしく」とは何と人間の傲慢さを表わしている言葉でしょう。地球は生まれてから46億年存在し続け、人間がここを住みかとするようになったのはたかだか300万年前といわれています。そして、われわれの文明が始まったのは今からたった1万2000年前に過ぎません。地球の歴史を一日の時間に置き換えると、人間が地球上で生活を始めてから56秒、われわれの文明は0.225秒にすぎません。
それまで限りない数の生物種が誕生し、適応しつつ進化し、あるいは絶滅し、現在の地球があるのです。人間は生物多様性の中のたった一種に過ぎません。その一種がわが者顔に地球の主のような顔をし、私達を生かしてくれている地球の生態系を破壊し続けているのです。地球のデリケートなバランスを壊しているのです。別の言い方をするなら、私達が行動を改めない限り、地球は私達の生存を許さなくなるでしょう。地球は私達に決してやさしくはないでしょう。
こうした思いの中から、今から8年前の1992年の6月に、ブラジルのリオで、国連地球環境会議が開かれたことは皆様ご存知の通りです。この会議には、180国を越える政府の代表が参加しただけでなく、多くのNGOも加わり、ピープルズパワーを発揮しました。それは環境問題の解決には政府だけでなく、企業や一般市民の参加が不可欠だという認識によるものです。
この地球環境会議の目玉は、そのサブ・テーマが示すように「持続可能な開発」です。環境を破壊しない形で経済活動を行う、あるいは、再生可能なレベルで生産し、資源の無駄をなくそうという考え方です。その中にはできる限り資源の再利用、リサイクルをしていこうという考え方も含まれています。
この会議に参加したわが国としても、このリオの精神と決定に基づき、1993年11月、環境基本法を国会で成立させ、環境基本計画の下に、様々な取り組みを始めています。つまり、自然環境を子や孫の時代にまで保全し、持続可能な経済活動を行い、地球環境問題で世界と協調・協力しようという内容です。
しかし、こうした取り組みはまだ緒に着いたばかりです。
かつての激甚な公害を克服したわが国が現在当面する課題は、自動車公害やゴミ問題に象徴される、いわゆる生活型都市型の公害です。つまり、大量生産、大量消費、大量廃棄をしているわれわれ一人びとりの生活ライフ・スタイルそのものの見直しであり、生産から消費、廃棄に至る過程を循環型に変えていこうという試みです。
自分達の暮し方を変える、これは言うは易しですが、現実に行うことは大変です。又、これまでの成長型経済を持続可能な経済にソフト・ランディングさせるには、企業も市民も地球環境への危機意識を十二分に持ち、その必要性を認識し、かつ行動を起こさなければなりません。更に、生産から廃棄までを循環型に代えて行くためにも新たな環境行政、環境技術、環境産業の創出が必要です。又、意識改革した市民一人びとりの参加と協力も欠かせません。
しかし、仮にわが国が先進国としてこうした課題に対処できたとしても、わが国だけで環境問題が解決したとは言い難いことは、環境問題が最早や一国のものでないと先程申し上げた通りです。
大気や水の流れは国境を知りません。一つの国で発生した汚れた空気は、他国の空をも汚すのです。日本海に流された核廃棄物はわが国の沿岸を襲います。温暖化によって被害を被るのは必ずしもCO2やメタンをたれ流している国だけではないのです。
その結果、多くの国で干ばつが起これば、飢える人も多く出るでしょう。日本はそうした中で有り余る外貨ドルで外国から食糧を買い続けることが出来るかどうか、将来のことは分かりません。わが国の食糧自給率はカロリー・ベースでわずか37%という現実があります。安定して食糧を輸入することを可能にするためにも、他国が安定して食糧を生産できる環境が存続し続けるよう、日本は農業技術の移転や資金面で手を貸さざるを得ないのです。それだけでなく、わが国のこれまでの高い経済成長は他国から輸入する安い資源の恩恵を多く受けてきたことも思い起こす必要があるでしょう。例えば、森林資源です。わが国の国土の7割近くが森林です。わが国は森林を大切にする国だと私達は誇りに思っています。
しかし、わが国がこれだけ多くの森林を守れているのは、これまで他国から安い森林資源を買うことができたからです。最近世界の熱帯林の消滅が心配されていますが、その原因の多くが原住民の焼き畑農業などによるにしても、これまで東南アジアの国々から輸出される熱帯木材の半分近くを買い続けてきたわが国にも原因の一端があるはずです。
森林資源を使う時、あるいは買う時には、その値段は森林の再生コストを含んだものになることが、少なくともこれからは必要なのです。これから世界の森林資源を持続可能なものに変えていかない限り、森林面積は減少し続け、森林の持つCO2を吸収し酸素を送り出す機能は低下し、更に温暖化に拍車がかかることでしょう。つまり、私達はわが国の森林同様、他国の森林を守ることが大切なのです。
温暖化が起これば、北極、南極の氷が溶け、海面が上昇すると言われていますが、そうなれば海に囲まれたわが国が沿岸を守るために、どれだけ護岸のための公共投資を必要とするようになるでしょう。
こうした例に見るように、地球環境問題は一国だけの問題ではなく、さまざまな形で他国の経済、社会のあり方と関わってきます。リオの環境サミット後も、国連の場で、あるいはさまざまな国際会議の場で環境問題への共通の取り組が議論され、又途上国への技術支援や資金援助が話題となるのもこうした理由によるものなのです。
21世紀も間近に迫った今、今後の地球規模の課題は、今申し上げたせまい意味の環境問題だけに限りません。冒頭、戦争は最大の環境破壊だと申しましたが、戦争以外にも、広い意味で環境破壊をもたらすものがあります。
その一つは、貧困と人口増加の悪循環の問題です。その悪循環を断たない限り、飢える人達は増加し続けるでしょう。貧困の結果、自然からの収奪は加速し、森林破壊、砂漠化が進むことでしょう。これからは更に貧困による経済難民、そして今後はこれに環境難民も加わるかも知れません。
つまり、環境が悪くなり、食糧が生産できないため、難民となって国外に流出する人達です。こうした難民の発生は人道上許せることではなく、その原因を取り除くことが必要ですが、現在の規模で人口が増加し、富める国と貧しい国の貧富の格差が増大していけば必ず食糧危機、難民化が起こり、地球上各地で不安定な状態が起こり得ます。
現在地球上には60億人の人間が住んでいますが、50年後の21世紀半ばには98億人、約100億人になると推定されています。中国の人口は現在一人っ子政策をとっていますが、それでも現在の12億の人口があと35年で16億になると言われています。つまり、この間わが国の3倍の人口が増えることになります。皆さんが日本のような生活レベル(少なくとも食生活で)を求めたとしたら、世界の食糧供給は果たして充分なのでしょうか。現在、中国では農村部から沿岸都市部への人口流出が激しく、内陸の耕作地は荒廃し始めていると言われています。また、水不足も大きな問題と聞いております。
又、中国の大気や川や土壌は、中国人の先進国への追いつけ、追い越せの急速な工業化の中で健全に守られるのでしょうか。環境汚染の影響はその地域の人達を苦しめ、環境を破壊するだけでなく、ほかの国々にも関わってくることです。
「情けは人のためならず」という言葉があります。人に親切にするのは人のためではなく、自分のためなのだという意味ですが、これはむしろ与えることの喜びといった、精神的なことを表現した言葉だと思います。しかし、地球環境問題は、温暖化、酸性雨といった狭い意味の環境問題にせよ、人口、貧困、難民といった広い意味での環境問題にせよ、日本が自分達の中だけできちんとしていれば、後は関係ない、「自分達には関わりない」ではすまない問題となってきているのです。
従って、わが国は対中経済協力において環境分野を援助の重点分野として位置付け、大気汚染対策、循環型産業・社会システムの構築、エネルギー効率向上などの温暖化対策など、さまざまな支援や交流を行っています。
地球益を考えて、積極的にかかわり、自分達のできる範囲で知恵も、技術も、労力も、そして資金も出していくこと、それが自らの国の安全保障につながるのです。それが私達すべてが乗組員である、この宇宙船「地球号」を難破させないことになるのだということを申し上げ、私のスピーチを終わります。