広中和歌子Fax通信 第82号 ( 2007年5月23日


終盤国会、国民投票法案、教育再生法案など

次々と重要法案が参議院に送付され審議に忙しい毎日です。

   

《教育改革関連三法案》

教育基本法が昨年暮、与党賛成多数で国会を通過したのを受け、政府は息をもつかぬ手早さで教育三法を今国会に提出した。衆議院では特別委員会が設置され、50時間を越す審議、公聴会等を経て、先週再び与党の賛成多数で可決された。そして審議の場はいよいよ今週から参議院の文教科学委員会に移される。

私もメンバーの一人として質問の時間を与えられているのだが、この法案は何となくしっくりいかない。教育基本法の改正にあわせ、義務教育の目的などを変更するとともに、@学校の教師を対象とした免許法等の改正、A副校長を加えるなど学校人事の改革、B教育委員会を中心とする地方教育行政の改革である。しかし、この三法の改正で果たして何が変わるのか。日本の学校が活性化し、子供達は喜んで学校に通い、よく学び、よく遊び、いじめもない学校生活を楽しめるようになるのか。教育熱心な先生が増え、子供達に社会の一員としてのしつけと学ぶ楽しさ、共に前向きに生きる喜びを教えてくれるのか。子供達は塾に通わなくとも先生は教科を理解させることができるのか。更には知的好奇心やレベルに応じて将来の高等教育に耐えられる知識を得させられるか。少なくとも健全な社会人として家庭、職場、地域でそれぞれに居場所をもち、存在感を感じられる人に育つための教育を受けられるのか。こうしたことが教育の果たす役割であり責任であると思う。

しかし、この教育改革は、政府・文部科学省の視点でのものであって、学校現場はもとより、生徒の視点、保護者たる親の視点は入っていないと私には思える。日本は、戦後、アメリカの教育制度を導入して改革され、従って60年たった今、日本と日本人にふさわしい精神と内容を盛り込んだ教育改革をということもあり、教育基本法改正とそれに続く具体的改革案の審議に至っているのだが、アメリカに留学し、長い間アメリカで学び暮らした者としてみると、日本の教育はアメリカの教育委員会制度にしても、6・3制にしても、更に教育の中味にしても、決してアメリカの追随ではない。むしろ、表面、あるいは一部を借りて日本流に焼きなおしたものであり、その問題点が現出しているということだ、と私には思える。まず、教育委員会制度だが、今回の法改正でも文部科学省はこれを残すという。しかし、教育委員は相変わらずの任命制であり、教育委員も教育長も選挙で選ばれた人ではない。アメリカでは多様なキャリアを持った人々が自らの教育哲学、方針案を市民に訴え、選挙で選ばれる。従って教育委員会の方針・教育について住民は無知ではない。更に校長は応募制でその中から決まるが、学校行政の分野で博士号をもち、かつ教師として経験のある人が年齢に関係なく選ばれる。

 年齢といえば教師になる人の年齢も多様である。日本では大学の新卒の人が先生になるが、アメリカでは子育てを終わった母親、医者、弁護士を経験した人、ボランティア活動をした人など様々な人生経験をした人が多い。新人先生の平均年齢は29歳といわれている。多様な人生経験がむしろ評価されるというわけだ。しかし、誰でも教師になるための単位は大学、大学院で取得しなければならない。それに比べて日本では基本的に新卒が採用される。その基準は学校の成績と教師になるための試験だけ、つまり学校の成績だけで面接さえない。なぜある人物が教師としてふさわしいのか、やる気があるのか。人柄も分からず、教師としても人間としても人生経験のない人を雇い、しかも終身雇用制であるのはあまりにも乱暴な採用方法としか言いようがない。今回の法律で10年目に教員免許の更新制と“指導が不適切な教員”への人事管理の厳格化が盛り込まれているが、崩れかけているとはいえ終身雇用が慣例化しているわが国では元教師の再就職も難しかろう。まず、安部総理の再チャレンジをしっかり社会に定着させて欲しいものである。

《以下次号に続く》