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《さくらとやらせ》 教育改革特別委員会が11月22日午後から参議院でも開催され、私もメンバーの一人として出席している。民主党の蓮舫委員等の質問をきっかけに明らかになりつつあること、それはタウンミーティングでの〔やらせ〕と〔さくら〕の問題だ。 平成13年6月から始まったタウンミーティング(公聴会)と言えば小泉内閣の目玉。これまで174回開催され、68,133人が参加した。とこらが、国民の声を聞くべきタウンミーティングのかなりの部分でさくら、やらせが横行し、その間かかった費用が19億7000万円だということが、最近の教育改革特別委員会の審議を通じ判明した。教育関係で言えばこれまで8回開催され、そのうち5回がやらせ。発言者やさくらの参加者には広告代理店を通じて2,000円から30,000円の謝礼金が支払われたという。 こんな中で教育基本法の改正が論議されているのだ。タウンミーティングを通じて国民の声を聞くという折角の機会をこのような茶番におとしめた官僚の責任は重大である。 《いじめ自殺》 子供のいじめによる自殺が相次いでいる。今年の8月からすでに十数件。自殺にまで追い込まれる子供達の心があわれである。親も教師もクラスメートもその苦しみに気がつかないことは大きな問題だが、自殺する勇気があるなら、何故自分の悩みを誰かに訴えなかったのか。彼らはそれほど孤立し、孤独なのか。直接誰にも話せないなら、学校に行くことを拒否するなど、何らかの意思表示ができなかったのか。 それにしても私が気になるのは、いじめの状況を把握していない親や学校、そして何よりクラスメートの存在である。親は忙しい、先生も忙しい、という状況はまさに現代的な問題だが、同世代のクラスメートがこうしたいじめをどう受け止め、どう反応しているのか、それが伝わってこない。 いじめられている子供の存在を見て見ぬふりをしてきた子供達がやがて大人になる、そんな大人達で満ちている社会はどんなものなのだろう。不正、不公正が存在しても気がつかない不感症。気がついていても何も言わない、そんな社会は正義感のない、ゆがんだ社会だ。 現在のいじめ論争を聞いていると、いじめられている子供、その子供を囲む親や学校、社会は問題視されるが、いじめる子供達に対する非難の声はマスコミの論調にはほとんどない。一般に日本では犯罪の被害者は苦しみ、悲しい思いに耐えていかなければならないが、加害者に対する非難の声は「人権への配慮」という観点であまり聞かない。同様にこうした日本の社会のゆがみが子供達のいじめにも影響しているのではないか。 《未履修問題》 高等学校で履修すべき単位をとらず、しかし、とったことにして卒業する高校の存在がここ1ヶ月間次々と明らかになり、大きなマスコミの話題となったがやがて消えていった。高校として何らかの形で補修授業を行うことで一件落着となったからだ。何故このようなことが起こったかと言えば、世界史など負担が大きく受験にかかわらない課目は履修したことにし、その時間は大学受験課目に向けられてきたからだという。 これまでも指摘されてきたように諸悪の根源は大学受験、そのための勉強に神経も時間も注がれ、歴史、文化などは軽視される。 目下、教育基本法に関する特別委員会で審議されている教育基本法改革。その改正の目玉のひとつは日本の伝統文化の尊重や、郷土や国を愛する心、そして国際社会の一員としての意識の涵養とある。新しい教育基本法を通せば近視眼的な大学受験教育は改まるのだろうか。どうもそうとは思えない。 |