広中和歌子Fax通信 第54号 (2004年11月1日)


災害列島日本、台風・水害・地震・火山噴火 被災者へ心からのお見舞いを

申し上げ、災害復旧のために超党派の努力を誓います。

   


《参議院経済・産業・雇用調査会 会長就任》

10月12日第161回国会が召集された。会期は12月3日

までの53日間。私の所属委員会は、文教・科学委員会に加え、経済・産業・雇用に関する調査会と決定。調査会制度は18年前、参議院の独自性を活かし、3年間という年月をかけて中・長期的な課題をさまざまな角度から調査し、検討するために

生れた。私はこれまで国際問題調査会で発言してきたが、これからのテーマとして、少子高齢社会を見据えての経済・社会・福祉などのヴィジョンと制度設計作りが大切と考え、選挙中も訴えてきた。私はこの調査会の会長に任ぜられた。

《IPU会議でニューヨークへ出張》

 世界中の国会議員が超党派で参加して、年2回開かれるIPU(列国議会同盟)の会議が今年はニューヨークの国連本部で開催された。私も自民党の加納時男氏、共産党の仁比聡平氏と共に参加することとなった。IPU会議への出席は今回で四度目。一番印象に残っているのは、1回目の1989年。ハンガリーのプダペストで開催された。アメリカのJ.ショィヤー下院議員に国際的な環境議員連盟を作らないかと誘われ、GLOBEの設立と私の

その後の環境への取組みに繋がった。ゴア米副大統領やケリー大統領候補とも知り合う機会となった。

 2回目はベルリンの壁が崩壊した後の復興著しいベルリンへ。そこでは会議の合間にドイツのゴミ問題への先進的な取組みなどを視察した。3回目はキューバ。カストロ議長の二時間半の長演説を聴いたが、往年は6時間に及ぶこともあったとか。美しいカリブの島 キューバの経済は長年のアメリカの経済制裁で疲弊していたが、音楽は楽しく、人々は明るかった。

 さて、今回のニューヨーク。朝晩現地のテレビで見る日本の台風23号の被害の大きさに胸を痛めつつの4日間の滞在だった。帰国したその日には新潟中越地震発生。

ニューヨークでは9.11グランド・ゼロで犠牲者に花束を捧げ、テロが日本人にも無縁ではないことを痛感。大統領選挙間近かなのに、激戦区ではないせいか、街では選挙よりもニューヨーク・ヤンキーズとボストン・レッドソックスのプレイオフ
の結果に関心が集まっていた。結果はレッド・ソックスの逆転

勝ちとワールドシリーズでの優勝へ。大統領選の行方は11月2日までお預け。

 国連でのIPU会議では、「軍縮と軍備管理」「平和維持活動」「平和構築のための統合的アプローチ」の三つのテーマでそれぞれ専門家からのプリゼンテーションを聴き、その後議員達が質問や意見を述べる形で進行した。私を含め、何人かの議員が、年間100兆円に達する世界の軍事費をせめて10パーセント減らして、途上国の貧困・教育・環境等にまわすよう発言した。

しかし、その声はIPUを脱退してすでに数年になるアメリカ議会の耳には、恐らく届かないことだろう。

《建設残土問題》

千葉県袖ヶ浦市の市議会議員選挙で民主党候補の応援に

出かけた帰途、残土、産業問題ネットワーク千葉の人達と市原市栢橋の建設残土問題を視察した。埋立造成工事会社によって山林に運び込まれた建設残土の山が最近の台風で流れ出し、山あいの棚田や林地を覆い、また、谷川の際に迫っている。

その現場を見、地権者や支援するNPOの人々の説明を聞きながら、各省にまたがる環境行政のむずかしさを実感した。現状復帰を望む農家の人達が、その土は有害廃棄物を含んでいないからといった県の言い分で泣き寝入りさせられるとしたら、

あまりにも理不尽なことである。

《水俣病関西訴訟 最高裁判決》

 関西に移り住んだ水俣病未認定患者と遺族が国と熊本県に損害賠償を求めた「関西水俣病訴訟」で、10月15日最高裁の判決が言い渡された。

 判決は行政の対応の遅れについて、法的責任を初めて認める画期的なもので、何と1956年に水俣病が公式に確認されてから半世紀を経てのことである。

 細川内閣の環境庁長官として、私は何とかして水俣病問題を患者の視点から解決しようとしたが、果せなかった。その悔しさを思い出し、感無量である。