参議院選挙に千葉選挙区から公認をいただいて
《民主党本部の常任幹事会で公認決定》
私は本年7月の参議院選挙で千葉選挙区から出馬する民主党候補として、2月26日公認決定をして頂いた。民主党千葉県連での2月16日の最終決定を受けてのことである。
ここに至るまでの数ヶ月、他の候補を含めた選考過程を考えると責任の大きさに身のひきしまる思いである。しかし、決めて頂いた以上はベストを尽して勝利し、民主党による政権交代への流れをより太く、確実なものとすることが私に科された役割だと思う。民主党支持者の皆様だけでなく、より良い政治を望む無党派層の方々の思いを惹きつけ、票に結びつけるよう精一杯頑張りたいと思う。
《政治と私》
何故いつまでも頑張るのか、のんびり引退後の生活を楽しんだらよいのに、という声はないわけではなかった。しかし、その声は政治は大切だというかねてからの考え、政治の世界で仕事を続けたい、私だからこそできる分野はいくらもある、という思いにいつもかき消されてきた。
私には年齢を加えただけ幅広い人生の経験がある。戦前に生れ、国民学校で軍国教育を受け、集団疎開を体験し、家族と離れた心細さと空腹がどんなものかも味わった。焼け野原となった戦後の東京はまさに下克上の世界、古い価値観の崩壊、アメリカ文化の浸透。新憲法で男女平等が謳われ、私も男女平等の教育を受けたが、その卒業生の受け入れ体制はなかった。奨学金を得て貨物船でアメリカに渡った。1ドル360円、持ち出し外貨30ドルの時代である。
《アメリカにて》
ボストン郊外のブランダイス大学に留学し、ハーバード大学院に学ぶ広中平祐に出会い、結婚。夫はアメリカの大学に就職し、以来計らずも20年近い滞米生活となった。
戦前、戦中、戦後の日本が変わったようにアメリカも同じではない。私達が滞在した1950年代から70年にかけ、豊かで自信に満ちたアメリカは公民権運動やベトナム戦争の泥沼化、そして復興著しいヨーロッパや日本の追い上げで次第に経済競争力を失い、自信喪失に落ち入っていく。
子育てをしながら、私は大学や図書館に通い、「四十歳の出発」の翻訳で、ようやく仕事の世界に足を踏み入れた。私にとっても四十歳からの出発であった。
日米を往き来する中、「Japan as No.1」の翻訳、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」の英訳、アメリカと日本を比較しながら書き綴ったエッセイ等々。
《政治の世界へ》
そんな中、1986年参議院比例区への出馬の機会を得た。折から日本だけでなく、世界はより大きく動き始めていた。20世紀後半の世界を厳しく分断していた東西冷戦の雪解けが始まっていた。地球規模の環境問題が人類共通の課題として大きく浮上していた。
ベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争、カンボジア、ユーゴなど内戦の多発。そして国境を越えたテロ。世界は変わった、日本も変わらなければと改革が叫ばれながら、日本は高度成長後のヴィジョンを見出せない。バブルを許し、その崩壊の対応を知らず、日本経済は冷戦後の大競争時代にただただ漂流してきた。政治改革のうねりの中で、細川内閣が誕生し、それが短命に終った後、再び政党の合従連衡により自民党中心の政治が続き、今に至っている。
しかし、前回2003年秋の衆議院総選挙で民主党が躍進し、政権奪取まであと一息に迫っている。長年の間に積もりつもった政官業の癒着構造を変えるには、自民党による小手先だけの改革では限界だという国民世論、政権交代なしには日本は変わらない、というところまでようやくやってきたのが日本の昨今である。
《再挑戦への決意》
私は過去18年間、外務、環境、商工、科学技術、大蔵、運輸、総務、予算などの委員会に所属し、発言をしてきた。細川内閣では環境大臣も経験した。湾岸戦争では人質解放を求めてイラクへ飛び、地球環境問題では世界の議員や国連機関と連携しつつ、問題解決に努力してきた。
21世紀さまざまな難題が存在している。地球的視野にたって、日本のため、世界の平和と安定のために、これまでの国際的な体験を生かして私にできることがある。
少子高齢社会といわれる日本、年を重ね、女性だからこそ、理解、共感し、発信できることがある。
今でも気力、体力は充実しているし、私には今後やりたいこと、やらねばならない課題は一杯ある。
政権交代をめざす民主党の一員として民主党への支持を増やす、私自身も千葉県民から票を頂き、国政で働かせて頂きたい、そうした思いを深く胸に、立候補する私である。