第154回 外交防衛委員会
2002年4月18日(木)
○外交、防衛等に関する調査
(日本人拉致疑惑に関する件)
参考人
横田 滋 君
横田 早紀江 君
有本 明弘 君
有本 嘉代子 君
☆答弁者
政府参考人 警察庁警備局長 漆間 巌君
【参考人からの発言】
○参考人(横田滋君) 昭和五十二年十一月十五日、新潟市で行方不明になりまして、平成九年の一月の下旬に北朝鮮の工作員による拉致、北朝鮮の拉致、工作員に拉致をされ、ピョンヤンにいるというこの情報が入りました。この情報が入りましたときに私どもが一番迷いましたことは、実名を公表するかどうかということでございました。実名を出さなければ証言に信憑性が問われますし、一方、名前を出すことによって、北朝鮮からそんなことはなかったということで殺されてしまうかもしれないというおそれがありましたんですが、やはり実名を公表した方が最終的には救出につながると思いまして、リスクを覚悟で公表いたしました。そうして、同年の二月三日の衆議院予算委員会で西村眞悟代議士が質問してくださったことで、世の中に知れ渡ることとなりました。
拉致されてから二十四年五か月になります。それから、国会で取り上げられてからでも、もう五年になります。そして、我々は救出のために外務省、警察庁、それから法務省の人権擁護局、日赤、アムネスティ等、それからそのほか日弁連等、あらゆるところに陳情いたしました。しかし、いまだに生死、所在等が全く分かっておりません。 二十四年五か月もの間、家族とも連絡も取れずに北朝鮮に拘束されているということは重大な人権侵害だと私たちは考えております。この間、外務省を始め、皆さん一生懸命に救出のために努力してくださっているということは分かりますが、ただ結果が出ていませんので、家族からしてみれば、やはり何もやっていないというようなふうに感じる面もございます。
我々家族は、救出のためにこれまで外務省等に拉致の進展がないまま米の支援を行わないでほしいとか、それから政府に拉致に対する対策本部を設置してほしいとか、それから新潟港に入っております万景峰号を止めるとか、そういった制裁を含めまして何らかの対応を取っていただきたいとか、それから不審船の引揚げをお願いしたいとかという、そういったことを数々のことをお願いしてまいりました。ところが、最近に至りまして、首相が食糧支援の凍結ということも表明してくださいましたし、それから安倍官房副長官をキャップとするプロジェクトチームが結成されるとか、不審船の方も引揚げが決まる、そういったことで、随分状況が変わってきたということは我々は感じております。
それから、今日も資料をいただきましたんですが、衆参両院で拉致の早期解決を求める決議が満場一致で採択されたということとか、それから今までの拉致議連というのが余り最近は動きがなかったわけですが、今度新しく行動するための拉致議連というのが準備会が発足しまして、二十五日には結成されるというふうに、随分、何といいますか、拉致問題に対する政府の、政府とかそれから政党の取組というのが随分積極的になったということで感じておりまして、我々家族としましては、非常に頼りになると有り難く思っております。 こういった政府、それから政党、国民世論の声がちょうど高まってきたのが、やはり絶好の解決の機会と思っております。近く日朝の赤十字会談も開催されるということを新聞等で読みましたんですが、もう今がチャンスだと思っております。
それから、各家族も非常に高齢化しておりまして、つい先日も小浜の地村さんの奥さんが亡くなりまして、葬儀にも参りましたんですが、いつまでもこのことが解決ができなければ、せっかく帰ってきても会えないというような状態が起きると思います。
是非、政治家の力によってこの問題を一日も早く解決してくださるよう、お願い申し上げます。
○参考人(横田早紀江君) 私は、横田めぐみの母でございます。
今日はこのように外交防衛委員会にお招きいただきましてありがとうございます。
本当に長い二十五年間でありました。最初の二十年間はどこに行ったかも分からないままで、私たちはあらゆることを反省し、あらゆることを懸念し、あらゆることを捜し、本当に気の狂うような毎日を過ごしてまいりました。
私たちは、国民が選んだ皆様方の善意を信じて、この方ならやってくださるだろうと信じて投票し、そして期待をして何度も何度も外務省や官邸にお願いに参りました。二百万近い署名を集めて、国民の方々の支えの中にあって、子供たちを何とかして救出しなければと頑張ってまいりました。
けれども、どういうわけか北朝鮮に関してはなかなかスムーズな動きができない。向こうの国の独特の在り方もありましょうけれども、このような子供たちの大切な命が二十年もの間、向こうにとらわれたままになっている、そういうことが分かっていながら、どうしてこのように救出が遅れるのでしょうか。本当に私たち家族、また支援の方々、国民の多くの方はなぜだろうかという疑問を今大きく持っております。
私たちは、本当に子供たちを一生懸命育ててきました。ただ単純な庶民にすぎません。特別な何にもありません。ただ普通の父として母として、皆様方がお父様、お母様に育てていただかれたと同じ思いで、親から教わったことを私たちは、ひきょうなことをするんでない、欲に走るんでない、弱いものをいじめちゃいけない、本当に単純な人間としての当たり前のことだけを守ってくれる人に育ってくれればいいと、一生懸命育ててきました。子供たちは本当に明るく優しく、老人にも本当に愛を持って接してくれる子に育っておりました。私たちは本当に幸せでした。突然、新潟の雪の暗いあの町で学校の帰りに姿を消してしまいました。何があったのか分かりませんでした。
本当にいろいろなことで悩みました。一生懸命育ててきても、やっぱり私たちは人間ですから何か間違いがあったのではないか、どこか落ち度があったのに違いない、取り返しのつかないことをしたのではないかと自分を責めました。もう死んだ方がいいのかなと思いました。何度も暗い日本海で暗い波の間に浮かんでいる赤いブイを見詰めて、ああ、めぐみのあの赤い学校のかばんが浮かんでいる、あれはそうじゃないかと、何度もそのところに立って泣きました。小さな弟が、お母さん、もうこんなところにいたら悲しいから帰ろうと、両方から一生懸命に腕を引っ張りました。
そのようないろいろな思いを本当に悲しみを胸の中に抑えて、それを表に出していけばもう倒れてしまうのです。病気になるのです。何とかして生きていくためには、この子の消息が分かるまでは、祈って祈って、神様お願いですからこの子のいるところを教えてくださいと祈り続けてまいりました。
そして、五年前に突然北朝鮮であることが分かりました。本当にびっくりしました。どうしてそんなところにいるのか、私たちには分かりませんでした。
けれども、今こうして運動の中でいろいろなことを学ばせていただきました。そして、北朝鮮という国、そして向こうの国民の方々が日本にもたくさん住んでいらっしゃいます。その中で、いろいろなことが、中に北朝鮮の国の影が深く食い込んでいるんだなということを思わせられるようになりました。
本当に、私たち家族にはできません。どうか私たちが選んだ皆々様の、本当に父として母としてただそれだけの親心で、子供たちを救ってやってください。私たちはそれだけを本当に心からお願いいたします。
よろしくお願いします。
○参考人(有本明弘君) 有本恵子の父親の有本明弘です。よろしくお願いします。
私は子供たちの手紙を受け取って、今からざっと十四年前、一九八八年の九月に当時の自民党の幹事長さんのところへ手紙を持っていって、それから外務省、警察庁と問題を報告して救済をお願いしてきました。それから現在までいろんな苦労がありましたが、いろいろなところへ行って救済をお願いしてまいりました。
それと同時に、私が疑念に思っている問題が一つありますので、これも付け加えて言っておきます。私が手紙を持ってまいりましたその少し前に参議院の法務委員会で、三十六年三月、参議院の法務委員会で橋本議員が国会質問した議事録があります。これはもう先ほど関係者の方にお見せして、皆さんに見ていただいてほしいと言ってお渡ししておきました。この今から十四、五年前には日本の政府にはこういうような拉致されたような情報が入っております。そうして、当時の政府は立派な答弁もやっております。そういうような状況にありながら、この拉致の問題が十四年間も置き去りにされてきたというような現実があります。
そして、このたび、八尾恵さんの証言以降、百八十度的な国内の世論の高まりがありまして、この問題が国会の皆様にも大きく取り上げられるようになりました。私はこれは大変いいことだと思って、自分ながらに喜んでおります。
そうして、この問題に関していま一つ気になっていることが一つあります。我が国のいろんな関心の高まりに反して、この十四年間にわたった外務省の態度が私にはちょっと解せないのであります。今ここで外務省改革が大きく叫ばれておりますが、この外務省改革の中にもこの北朝鮮外交というものを一つ加えていただいて、外務省が、この北朝鮮外交の、この十四年間にわたる北朝鮮外交を一応検証していただきたい、そんな思いが一杯であります。
だから、私は今、日本の国がこの問題に関して国全体で大きく取り組んでいただけるときに、外務省ももっとはっきりした姿勢を示していただいて、日本の国の外交の一番の、どう言ったらいいか、これは我が国の外交の一番の頭脳集団だというふうに私は思っております。が、この十四年間、この頭脳集団は何の効果も現さない十四年間でありました。これから本委員会におきましては、ここを良く認識していただいて、しかるべき対応を取っていただきたいとお願いしておきます。 以上。
○参考人(有本嘉代子君) 有本恵子の母親の有本嘉代子でございます。
今日は、皆様お招きにあずかりましてありがとうございました。
私ども娘がいなくなりましたのが一九八三年でございます。それから五年後に、北朝鮮にいるということがある方の手紙によって分かりました。それ以降は主人がいろいろと各方面に働き掛けたのですが、本当にもう今現在まで本当に動きがなかったように思います。このたび、八尾さんの証言によって、本当に百八十度転換したと思います。 この十九年間というものは、今、横田さんがおっしゃられたように、本当に母親としてつらい毎日でございました。私どもは子供はたくさんいます。女の子が五人と男の子が一人いますが、やはりどの子も子供です、私の。だから、何人いても一緒です。とにかく、私たちが毎日毎日を、日を重ねるごとに自分の体の弱りを感じるんです、このごろ特に。だから、元気な間に、それがずっと頭にあるんです。元気な間に子供の顔が見たい、それで一杯なんです。 だから、もうこの際、皆さんが、政府の方もかなり様子が変わられたと思いますので、この機に皆様のお力によって子供たち全員が無事に帰れるようにどうぞお力をおかしください。お願いいたします。
○広中和歌子君 二つだけ短く質問させていただきます。
先ほど行方不明者という言葉が出ましたけれども、日本の国内で行方不明者として警察に届けられる方の数というのはどのくらいあるかということ、それが一点です。
それから、かつて森さんが総理でいらしたころに、この拉致問題に絡んで、ヨーロッパのどこかで突然出てくることもあり得るといったような発言をなさったことがあるんですが、その発言の背後には何らかの捜査当局の確信みたいなものがあってそのような発言につながったのかどうか、それをお伺いいたします。
○政府参考人(漆間巌君) 手元に、今行方不明者の数というのは持っておりませんが、私の記憶によれば、年間十万単位ぐらいで出る可能性はあると思います。それは、それでその後、見つかるということもありますし、いろいろありますので、基本的には、ただ、数字を持っておりませんので、細かいことについてもし必要があれば後ほど御説明をさせていただきます。
○委員長(武見敬三君) 第二点についての答弁、これは森元総理の発言の背景という点に関してでありますけれども、これは漆間警備局長。
○政府参考人(漆間巌君) 私は、実はこの八件十一名という、我々としては北朝鮮による拉致の疑いのある事案、これについて実行行為者という者の供述が得られたというケースが実は三つあるわけであります。それは、一つは宇出津事件、もう一つは、これは韓国でありますけれども、辛光洙事件、今回は正に有本恵子さんの拉致容疑事案であります。
そういう意味でいきますと、確かに前二者につきましては捜査上のいろんな問題がございまして、正に公判廷でいろんなことを明らかにすると、日本の国内で、そこまでは至りませんでしたけれども、今回の有本恵子さんの関係で八尾恵さんからいろんな形で供述を得られたということは、これは大変大きな要素になるというふうに考えておりまして、それをもって総理がどういうふうに判断されたかというのは別でございますけれども、私どもとしては、これは大変この実行行為者の供述を得られて、これから捜査を遂げていこうというのにとっては大変大きな材料を得たというふうに私どもは思っております。
それから先ほどの、いわゆる家出人とかいう形で捜索の受理をする場合はいろいろありますが、昭和五十年代でいきますと、大体ちょうどこの拉致のあったころですが、五十二年からは大体九万五千四百五十七件、五十三年が十万件台でずっと続きまして、五十八年が十一万件に上っております。最近は大体八万、九万前後というような状況になっております。
○広中和歌子君 そのうち見つかった人たち、それから北朝鮮に絡んでいると考えられる人の、いわゆる行方不明者の推計みたいなのは分かりますか。
○政府参考人(漆間巌君) この中からでございますか、この中からすべて、例えば最近で、平成十一年でいきますと九万件弱ございますけれども、所在確認件数が八万件弱というふうになっています。
ただ、この中にそういうものがあったかどうかというのはいろいろありますが、ただ、我々としては北朝鮮による拉致の疑いのある事案以外にも拉致の可能性のある事案というのはいろいろつかんでおるわけでございまして、そういう意味で、それが果たして本当に拉致の疑いのある事案までいくのかどうか、これも今懸命な捜査を遂げているところであります。
○広中和歌子君 どうもありがとうございました。
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