「選挙区選挙を戦うの記」
(笹川平和財団 SPFニュ−ズレタ− No.38掲載)

参議院議員・笹川平和財団評議員 広中和歌子

 比例区から出馬し、参議院で2期12年間働かせていただいた後の身の振り方として、潔く政界から引退し、ボランティア活動にでも参加して余生を送ることを考えないわけではなかった。

 民主党の比例名簿は非常に混み合っていた。1997年末の新進党の分党後、私の所属する民政党と(旧)民主党や新党友愛などが一緒になって結成した(新)民主党において、7月に迫った参議院選挙の比例名簿の順位づくりが新執行部にとっていかに頭の痛い問題か、想像に難くなかった。私は遠慮すべきと思いつつ、しかし政治には未練があった。 21世紀を目前に、日本は、行政、財政・金融、経済等、あらゆる面で変革を必要としていた。93年に生まれた細川内閣・羽田内閣の改革への試みは一年を経ずして失敗に終わり、その後の自由民主党を中心とする連立内閣は、実体の伴わない改革を唱え、現体制に固執するだけだった。そのような中、今世紀から来世紀につながる大切な次の六年間を政界にとどまり、医療、福祉、教育、税制、住環境などの分野で、安心と豊かさ、公正さの感じられる制度や仕組みを作ることに参加したいという気持ちには抑え難いものがあった。

 そうした思いでいた3月のある日、千葉の選挙区から次の参議院選挙に出てみないかと、民主党の選挙対策の幹部から打診があった。

「千葉では目下各党乱立で、こうした状況では自民はもとより共産党にも負けてしまう。あなたなら野党の統一候補として各党まとまるだろう。連合も全面的に応援してくれる」と言う。

「あなたはただ御輿に乗っていればよい」という話を鵜呑みにしたわけではなかったが、なんとなくその気にさせたのは、私のそうした政治への未練であった。それに、これまでの比例区選挙と違って、有権者に党の名前ではなく、自分の名前を書いてもらって当選する選挙区選挙を一度は経験してみたいという正直な気持ちもあった。

 千葉から出馬を決めた後、「あなたは勇気がありますね」とあきれ、からかう人もいたが、当選しなくてもともと、という気持ちもあったから、恐くはなかった。むしろ、新しいことに挑戦する好奇心のほうが強かった。

「なぜ、千葉から」とは、新聞記者をはじめ多くの人から聞かれた質問である。確かに私は千葉県出身ではないし、千葉にも住んだことがない、いわば落下傘候補である。もっとも、東京で生まれ育った私にとって、千葉はいわば地続きで、親戚、友人の多くが住んでいるところだから、違和感はなかった。

 決めるのは千葉県民なのだから、あえて私は弁解はしなかった。大切なのは、千葉や日本のために私が何をしたいと思っているのか、それを県民に訴えることだと思った。

「医・職・住」という言葉が頭に浮かんだ。これは以前、元国土庁次官の下河辺淳氏とお話をした際、お聞きした言葉である。それが実に印象深く心に残っていたので、これを柱に私なりに脚色し、ふくらますことにした。

 医は医療の医で、福祉、安心、安全。職は雇用の安定と雇用の創出、そして生涯にわたる生き甲斐ある仕事。そして、住は緑、いこい、コミュニティ等、広い意味での住環境である。私は「医・職・住のモデルを千葉に」と訴え、「医・職・住の充実を通じて現在低迷している経済を再活性化させ、21世紀につなげたい」と呼びかけた。

 他の候補者が現下の不況対策を公約の第一に掲げたのに対し、私だけが中・長期的なヴィジョンを示したことで、当初マスコミは私の政治感覚を疑ったらしい。しかし、先進国が避けて通れない経済の構造転換を行う過程では、不況からの脱出に十数年の年月がかかることを、私は長期にわたるアメリカ滞在で実感していた。同様の過程をたどっている日本の今回の不況についても、経済回復を軽々と口にすることはためらわれた。

 それよりも、「医・職・住」の視点から、子供や老人に目が行き届くコミュニティの充実等、真に豊かな日本を造り、そのための新産業創出を計りつつ構造改革を行うことが、結局は経済の活性化につながると考えたのである。

 選挙中、毎朝、候補者としてJRの駅頭等で乗降客に挨拶しながら、多くのサラリーマン、勤労者が満員電車で東京に運ばれ、いかに身も心もすり減らしているかを感じた。新たな産業分野として、情報通信、環境産業、医療福祉、そして国際競争力のある農業、漁業をあげたが、情報インフラの整備を通じた在宅勤務の推進や、行政や産業の地方分散の必要性をしみじみ感じた。

 暑い最中、千葉県中を走り回って人々と語らい、「ディスカバー千葉」を身をもって味わった。結果は、千葉県民が私を75万票余を投じてトップ当選させてくださった。

 連合千葉をはじめ、自民、共産を除く野党七党の皆様方、多くのボランティアや友人の応援に心から感謝しつつ、医・職・住の充実は千葉だけはなく、日本全体の21世紀への大きな課題であると確信した。